沿革
大正6年 | 10月 | 株式会社芳澤鉛管製造所を設立し、鉛管の製造に着手 |
---|---|---|
昭和13年 | 9月 | 満州国奉天に進出。設備の概要は工場敷地3,000坪、巾3m、長さ10mの能力を有する鉛板圧延機1基、鉛管機英国製2基を設置し、生産開始(終戦と共に在外財産として凍結) |
昭和18年 | 7月 | 大阪工場(大阪市城東区)が重要産業として、陸、海、空の軍需三省の管理工場として指定 |
昭和21年 | 12月 | 通商産業省の指定工場 |
昭和34年 | 1月 | 日本工業規格表示の許可工場 (番号6527) |
昭和46年 | 1月 | 芳沢機工株式会社と社名変更 |
昭和47年 | 3月 | 工場を大阪市城東区より、大阪府大東市に移転 |
昭和56年 | 4月 | 芳沢機工株式会社より大東工場および宇部出張所を合併して、「芳沢機工西部株式会社」と改称 宇部出張所を宇部工場と改称 |
昭和63年 | 1月 | ヨシザワLD株式会社と社名変更 |
平成元年 | 10月 | 大阪市北区に大阪事業所開設、営業部を移転 |
平成13年 | 2月 | 本社工場および大阪事業所で環境マネジメントシステム規格「ISO 14001」を認証取得 (登録番号E231) |
平成14年 | 5月 | グループ会社のヨシザワLM株式会社と合併、ヨシザワLM株式会社はヨシザワLD株式会社名古屋支店として発足 |
6月 | 名古屋支店が環境マネジメントシステム規格「ISO 14001」を認証取得 (登録番号ER028) |
|
平成19年 | 1月 | 新JIS認証取得 (認証番号 JQ 0506017) |
平成20年 | 3月 | 宇部工場の閉鎖 |
平成25年 | 5月 | 大阪事業所を大東本社工場に統合 |
平成25年 | 10月 | 新たに本社工場と同地域に第二工場を稼働 |